お楽しみコンテンツ
やまぎん史料館
旧本店建物のご案内
建物の紹介
沿革
この建物は、大正9年(1920)に三井銀行下関支店として、建築設計家長野宇平治の設計監督により建築され、昭和8年(1933)に山口銀行の前身である百十銀行(明治11年に第百十国立銀行として創設、同31年に株式会社百十銀行として改組)の本店となり、昭和19年には、県下の6つの本店銀行(百十銀行、華浦(かほ)銀行、船城(せんじょう)銀行、大島銀行、宇部銀行、長周銀行)を統合して山口銀行が創立され、本店となりました。昭和40年に新本店が新築されて移転した後は観音崎支店となり、同44年、観音崎支店が入江支店として移転した後は山口銀行別館として行内の会議や集会に使われていました。

昭和48年から50年には日本銀行下関支店として使用されました。
建物の内・外部を山口銀行創立当時の姿に戻す復原工事と、建物の耐震補強工事が平成16年4月から平成17年3月にかけて行われた後、平成17年10月に棟札とともに山口県指定有形文化財となり一般公開しております。
概観と特徴
構造・形式・規模
建物は煉瓦及び鉄筋コンクリート造2階建、地下1階、陸屋根で、正面(東面)間口約22m、奥行約21m、軒高約13mあり、旧附属家の一部を除いた建築面積約509平方メートル(154坪)、延床面積は約995平方メートル(301坪)あります。
外観
建物の外壁主要部は徳山産花崗岩で覆われ、正面玄関脇には、ギリシャ建築様式である渦巻状のイオニア式とアカンサスの葉飾りのコリント式を組み合わせたコンポジット式の柱頭をもつピラスター(柱形)が際立ち、フルーティング(溝彫)が施されています。窓上部(アーチ要石の上部)にはバクラニウム(牛頭飾り)、フェストゥーン(花綱飾り)、ロゼッタ(花紋)の彫刻が、柱上部のコーニス(軒蛇腹)にはディンティル(歯飾り)がそれぞれ施され、正面中央には弓形ペディメントが位置し、さらに屋上にはバラスター(手摺り子)を配したパラペット(手摺り壁)や、正面中央に2つの大きなクラーテール(渦巻形把手の形をした古代ギリシャ時代の器形装飾)が配されるなど、本格的な古典主義様式のデザインを採り入れた意匠となっています。
内部
建物の内部は、壁や吹き抜けの営業室の格(ごう)天井は漆喰塗で、天井蛇腹、格縁(ごうぶち)、付柱(つけばしら)上部などには石膏彫刻の装飾が施されています。1階営業室は玄関、風除室、ロビーの亀甲タイル張りやカウンターなどが復原されました。2階部分は吹き抜けの四周を歩廊がめぐらされ、柱の頭部には外部と同じ装飾が施され、2階は山口銀行創立当時には、頭取室、頭取応接室、人事部室として使われていました。南北には階段があり、特に南階段は手摺りに特徴を持ち、絨毯(じゅうたん)とともに当時のままに残されています。
特徴
旧本店は、下関市役所第一別館、下関南部町郵便局とともにそれぞれ日本の近代化建築の古典派、分離派、合理派を代表する作風の建築であり、下関にその3派の建築が揃うところに大きな価値があると言われています。
復原された建物は、大正時代の建築様式の特徴を色濃く残しており、当時の銀行の様子を今に伝える貴重な文化財です。
設計監督 長野宇平治の経歴
慶応3年越後高田(現在上越市)に生まれ、明治23年帝国大学工科造家学科(現工学部建築学科)に入学し、同級に三橋四郎(下関南部町郵便局の設計者)がいます。明治44年、東京駅を設計した辰野金吾に師事し日本銀行技師となりました。大正2年、長野建築事務所を開設、日本銀行のほかにも、三井銀行、明治銀行、六十八銀行、横浜正金銀行、鴻池銀行など、多くの銀行建築を手がけています。大正6年には日本建築士会初代会長に就任。昭和12年死去(享年71歳)。代表作品には、旧奈良県庁舎、旧三井銀行神戸支店、旧三井銀行下関支店(本建物)、日本銀行岡山支店、大倉精神文化研究所などがあります。

長野宇平治
建物主要部分の説明
外観

| 1.柱頭 | 渦巻状のイオニア式とアカンサスの葉飾り コリント式を組み合わせたコンポジット式 |
| 2.柱 | フルーティング(溝彫)が施されたピラスター(柱形) |
| 3.柱上部 | コーニス(軒蛇腹)のディンティル(歯飾り) |
| 4.窓上部 | バクラニウム(牛頭)、フェストーン(花綱飾り)、ロゼッタ(花紋の飾り) |
| 5.弓形ペディメント | 切妻壁 |
| 6.パラペット | 手摺り壁 |
| 7.バラスター | 手摺り子 |
| 8.クラーテール | 渦巻形把手の形をした古代ギリシャ時代の器形装飾 |
内部

営業カウンター、亀甲タイル張りのロビー、風除室が復原され、建築当時の欅造りの大階段(南階段)は手摺り(ワニス塗)に特徴があり、当時の絨毯とともに残っています。
2階の各室は、山口銀行創立当時、頭取室、頭取応接室、人事部として使われていました。

天井蛇腹や内部の柱上部には石膏彫刻の装飾が施されています。

棟札(指定文化財)
本店と建物の変遷(西暦)
| 明治11年(1878)11月 | 第百十国立銀行創立 所在地 山口米屋町329番屋敷(現山口市) |
|---|---|
| 明治12年(1879)9月 | 赤間関支店開業 所在地 赤間関町城ノ腰第31番屋敷(下関市南部町) |
| 明治13年(1880)2月 | 赤間関支店を本店とする認可 |
| 明治31年(1898)11月 | 株式会社百十銀行に改組 |
| 大正9年(1920)5月 | 三井銀行下関支店竣工、所在地 下関市観音崎町68番ノ1 |
| 昭和8年(1933)3月 | 三井銀行下関支店廃止し、百十銀行に店舗と営業を継承 |
| 昭和8年(1933)4月 | 百十銀行本店を本建物に移転 |
| 昭和19年(1944)3月 | 山口銀行設立 |
| 昭和40年(1965)5月 | 新本店竣工に伴い本店を下関市竹崎町に移転し旧本店は観音崎支店となる。 |
| 昭和44年(1969)11月 | 観音崎支店は移転して入江支店に改称に伴い、山口銀行別館となる。 |
| 昭和48年(1973)9月 | 日本銀行下関支店仮営業所となる。 |
| 昭和50年(1975)1月 | 日本銀行移転に伴い、再び本店別館となる。 |
常設展示コーナーの設置
建物は、平成17年10月に山口県有形文化財の指定を受け一般公開を開始して以来、多数のお客様にお越しいただいておりますが、平成19年1月からは見学される方に当行とこの建物の歴史をより詳しく伝え、さらに建物の特徴を分かりやすく紹介するために、営業室ロビー壁面に「常設展示コーナー」(写真1)を設置しました。
展示内容は7つのタイトルに分けて説明と写真を掲載し(例:写真1-a、写真1-b)、一部現物も展示しています。
また、大正時代の建築様式を色濃く残したカウンターや大階段などの見どころには写真入りの説明板「スポットスタンド」を設置し(写真2)、さらに、カウンター格子の一部に銀行創立時からの営業室内の写真を展示し(写真3)、往時の雰囲気が偲ばれるようにしています。
展示コーナー7つのタイトル
- 山口銀行の沿革系統図(写真1-a)
- 地域と歩んだ銀行
- 山口県指定有形文化財「山口銀行旧本店」
- 文化財指定に向けた復原と補強
- 古典主義様式に特徴的な彫刻
- 美しく、贅を尽くした素材(写真1-b)
- カーン式鉄筋構造を取り入れた大正時代の最新建築方法

写真1:ロビー壁面の展示コーナー

写真1-a:山口銀行の沿革系統図
当行の成り立ちと前身銀行が一目で分かります。
併せて、「山口フィナンシャルグループの沿革」と「県内本店銀行の推移」も展示しています。

写真1-b:美しく、贅を尽くした素材
豪華な建築素材と造りを紹介し、建築当時の営業室ロビーのタイルや手摺り子の現物を展示しています。

写真2:写真入りの説明板「スポットスタンド」
カウンターや大階段など内部の見どころ5箇所には、スポットスタンドを設置しています。

写真3:カウンター格子に展示した往時の写真
建物創建時(大正9年)から昭和40年までの営業室内の写真を展示しています。
旧本店周辺(唐戸地区)の明治・大正期建造物(除く海響館)の概要
地図上の建物の概要
| 名称 | 用途 | 建築年月日 | 設計者 | 構造 | 利用時間 | 文化財 指定 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1.下関南部町郵便局庁舎 (旧赤間関郵便電信局) |
郵便局 | 明治33年 (1900年) |
三橋四郎 | 煉瓦造2階建 | 営業中 | 国登録 文化財 |
| 2.旧下関英国領事館 | 公開 文化財 |
明治39年 (1906年) |
ウィリアム ・コーワン |
煉瓦造2階建 | 一般公開 | 国指定 重要文化財 |
| 3.ロダン美容室 (旧宮崎商館) |
事務所 | 明治40年 (1907年) |
煉瓦造2階建 | 営業中 (非公開) |
||
| 4.旧秋田商会 | 事務所 | 大正4年 (1915年) |
SRC造地上3階 地下1階 |
一般公開 | ||
| 5.山口銀行旧本店 (旧三井銀行下関支店) |
銀行 | 大正9年 (1920年) |
長野宇平治 | 煉瓦及び鉄筋 コンクリート造 2階建 地下1階 陸屋根 |
一般公開 | 県指定 有形文化財 |
| 6.下関市役所第一別館 (旧下関郵便局電話課庁舎) |
庁舎 | 大正13年 (1924年) |
逓信省 営繕課 |
RC+煉瓦造2階建 一部3階建塔屋付 |
非公開 | 市指定 有形文化財 |
位置図

