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Vol.45 山口が生んだ女性文人 田上菊舎をたずねて
「奥の細道」を逆から辿った、女流文人・菊舎の誕生。
24歳で夫と死別した菊舎は、長府の俳諧の師、五精庵只山 (しざん)のもとへ「俳号を贈って欲しい」と頼み「花が野に巡るように生を駆けていきなさい」と菊車(後に菊舎)の名を授けられ田上菊舎が誕生します。菊舎26歳の時です。
その3年後に萩の清光寺にて得度し、松尾芭蕉「奥の細道」の出発点である美濃国(岐阜県)から、逆行の旅に出ました。旅立ちの身なりは一笠一杖の尼姿で、荷物は頭陀袋ひとつという粗末なものだったそうです。それから74歳で生涯を終えるまで、茶や書芸をたしなみ、句を詠み続けました。
29歳の時、俳諧修行の旅に出る前に詠んだ句。
(豊北町田耕 田上菊舎生誕の地にて)