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Vol.45 山口が生んだ女性文人 田上菊舎をたずねて
自らの身体で感受した美意識を、句にのせて旅を続ける。
質素な生活とはいえ、その時代に、菊舎がなぜ詠出の旅を重ねることができたのか。菊舎顕彰会の岡さんに伺ったところ、菊舎に「一字庵」の庵号を授けた俳句の師・朝暮園傘狂(さんきょう)が、最初の旅の出発にあたり菊舎に持たせた一枚物の口上書(紹介状)があったからだそうです。
内容は「日が暮れたなら、この尼に一晩の宿を世話して俳諧の話など聞かせてやって欲しい」といったもの。各地の門弟に宛てたこの紹介状を持って、菊舎は俳諧行脚の旅を始めました。もちろん、菊舎自身が、向学心と好奇心を併せもっていたからに他なりません。
菊舎は生涯を通して旅を続けました。諸国で関わった人は数えきれないほどだといいます。また俳諧だけでなく、和歌、漢詩、書道、絵画、茶道、弾琴などへ、探求心は広がっていったのでした。
一字庵11世の岡昌子さんは「菊舎の旅は放浪や漂泊ではなく、目的を持った学びの旅であり、風雅を極める創作の旅でもあったのだと思います」といわれました。